日本代表の若きカリスマとして長く君臨した柳田将洋選手。彼のルーツは、東京都墨田区にある私立の名門、安田学園中学校にあります。
通常、安田学園は中高一貫校であるため、そのまま高校へ内部進学してバレーを続けるのが既定路線です。しかし、柳田選手はあえてそのレールを外れ、千代田区の東洋高校へと外部進学しました。
なぜ彼は慣れ親しんだ母校を離れたのか? その背景には、後の「春高制覇」へと繋がる運命的な出会いがありました。
1. 原点は「安田学園中」での全国ベスト8
柳田選手は安田学園中学時代、すでに東京都選抜に選ばれるほどの逸材でした。中学3年生の時には全中(全国中学校バレーボール大会)でベスト8に進出。この頃から、その非凡なセンスは高校バレー界の指導者たちの注目の的となっていました。
2. 東洋高校・岡田監督による「2年越し」の熱烈勧誘
中高一貫の安田学園高校へ進まなかった最大の理由は、東洋高校の岡田隆安監督(当時)による熱心なスカウトです。
- 中学2年からの注目: 岡田監督は、柳田選手が中学2年生の時からその才能を見抜き、何度も試合会場へ足を運んでいました。
- 「君の力が必要だ」: 当時、東洋高校は強豪ではありましたが、全国優勝にはあと一歩届かない時期が続いていました。岡田監督の「君の力で東洋を日本一にしてくれ」という熱い言葉が、柳田選手の心を動かしました。
柳田選手自身、後のインタビューで**「岡田先生に熱心に誘っていただいたこと」**が進学の決定打だったと振り返っています。
3. 「外部進学」という決断がもたらした春高初優勝
安田学園の恩師からも背中を押され、東洋高校の門を叩いた柳田選手。その決断は、すぐさま最高の結果として実を結びます。
- 1年生からレギュラー: 入学直後からエースとして活躍。
- 2010年 春高制覇: 2年生の時、主将として**東洋高校を「史上初の春高優勝」**へと導きました。
もしあの時、安田学園に内部進学するという「安泰な道」を選んでいたら、今の「日本代表・柳田将洋」の物語は違った形になっていたかもしれません。
まとめ|指導者との絆が「伝説の主将」を作った
柳田将洋選手の進路選択は、単なる学校選びではなく、「自分を一番必要としてくれる指導者」への信頼から生まれたものでした。
- 安田学園中で磨いた基礎。
- 東洋高校の岡田監督による熱烈なオファー。
- それに応えて掴み取った**「春高初優勝」**。
この「自ら外の世界へ飛び出す決断力」こそが、後にドイツやポーランドといった海外リーグへ挑戦し続ける、柳田選手のストイックな姿勢の原点と言えるでしょう。

コメント